音、言葉、その日常

バンドマン。ブログとか詩とか純文学的な何か。

死にたいテーマの雑文

さて、僕は死にたい。
なぜかという質問を受ける間もなく、死にたい。
死にたいと言う一瞬の下、死にたい。
読者は恐らくこの文を目の当たりにし、冷笑を浴びせている事だろう。
冷笑を浴びせた上で、なぜこの作者はこんなにも死にたいのだろうと幾ばくかの思索を巡らせることだろう。そして、一定の読者は「ははァ、こいつは顔がとても見れたものじゃないのだな」やら「可哀想に、失恋したのね」やら「性格がとても悪いんだな」やら、そんな結論に至ることだろう。
それはあながち全て間違いではない。
然し同時にすべて間違いでもある。
僕は女に振られたことがある。
所詮女の分際で武士道でも嗜んでいるが如く、まるで空手家の試し割りをするかのように、一刀の下、一撃の下、いとも簡単に僕の心が切り捨てられた事もあれば、粉砕された事もある。

さて、死にたい。

また、それは何故かと考えると、やはり自分の顔が狸のような、いや、そんな可愛げのあるものでも無い。頬は赤面症ゆえ赤く染まり、万年二日酔いみたいに顔が浮腫んでいると言った事も挙げられる。

いやはや、死にたい。

しかしそれはあくまでも中学、高校の頃の話であって、高校を卒業すると同時に、僕はコンタクトに切り替え、多少のダイエットをし、少なくとも見れる程度の顔面になったとは自負している。
そうすると女の武士道はどこへやら、いきなり態度を豹変させてくるもので、低俗な話ではあるが、女を手玉に取ったこともあった。
だが、そんなビギナーズラックみたいな物はそう何回も続く訳もなく、あっという間にクズ男と言うレッテルを貼られ、誰からも相手にはされなくなった。そうなると女は不思議なもので最初は武士道を振りかざしていたのに、気づくと、逃げ惑う草食動物の群れのようにヒソヒソと陰口を叩きチラチラと周囲を伺い、少しでも近寄ろう物なら女の気品などなんのその一目散に砂ぼこりを巻き立てながら逃げて行くのである。
読者の顔から血の気が引いているのを感じる。男性紳士諸君は「こうはなりたくないものだ」と思っているであろうし、女性淑女諸君は「気持ち悪い」の一言であろう。
ああ、死にたい。
僕はよせばいいものをこうして自分のひねくれた一面を表にズケズケと出してしまう所がある。
どうしようもなく、死にたい。
さて、もうお分かりであろうが、僕は何があっても無くても取り敢えず「死にたい」と言う事が生きている証になっている、そんな類の人間なのだ。

なんか、病気とかで死の淵にいる人間の事を考えたら、死にたいって言ってる自分が馬鹿らしくなって、ちょっと申し訳なくなりました。なのでこの文章終わります。おやすみ。